2016年06月13日
在宅緩和ケア充実診療所 届出受理医療機関
「緊急往診及び看取りの十分な実績等を有する」医療機関として、
今年4月の診療報酬改定での届け出が受理されたのは、ファミリークリニックネリヤを含めて鹿児島県内は、5医療機関でした。(残り4医療機関はすべて鹿児島市内でした。)
人生の旅立ちまで「穏やかに、朗らかに、和やかに、」「大切なひと、大切なことと、大切なときを生ききる」ためのお手伝いを、シマのできるだけたくさんの方々に・・・
ネリヤはもちろん、シマのたくさんの医療・介護従事者の方々と、さらに、歩みを勧めてまいります。
ちなみに、届け出基準は、
・過去1年間の緊急往診の実績が15件以上、かつ、看取りの実績が20件以上であること。
・末期の悪性腫瘍等の患者であって、・・・患者が自ら注射によりオピオイド系鎮痛薬の注入を行う鎮痛療法を実施した実績を、過去1年間に2件以上有していること
などです。
表の(在緩診実)が、在宅緩和ケア充実診療所・病院加算です。

今年4月の診療報酬改定での届け出が受理されたのは、ファミリークリニックネリヤを含めて鹿児島県内は、5医療機関でした。(残り4医療機関はすべて鹿児島市内でした。)
人生の旅立ちまで「穏やかに、朗らかに、和やかに、」「大切なひと、大切なことと、大切なときを生ききる」ためのお手伝いを、シマのできるだけたくさんの方々に・・・
ネリヤはもちろん、シマのたくさんの医療・介護従事者の方々と、さらに、歩みを勧めてまいります。
ちなみに、届け出基準は、
・過去1年間の緊急往診の実績が15件以上、かつ、看取りの実績が20件以上であること。
・末期の悪性腫瘍等の患者であって、・・・患者が自ら注射によりオピオイド系鎮痛薬の注入を行う鎮痛療法を実施した実績を、過去1年間に2件以上有していること
などです。
表の(在緩診実)が、在宅緩和ケア充実診療所・病院加算です。

2016年05月24日
MEDプレゼン2016 在宅医療でプレゼン
MEDプレゼン2016 在宅医療で、オープニングプレゼンターを務めてきました。
http://medpresen.com/med2016/zaitaku/
ときは 5月22日(日)
ところは 日本科学未来館 未来館ホール
テーマは、「穏やかに、朗らかに、和やかに、~自分らしく生ききるために~」
TED スーパープレゼンテーション張りの会場で、8分間のプレゼンでしたが、久しぶりに、口が渇くほどの緊張感でした。
シマの自然、文化、歴史をおりこんで、ネリヤの行動目標を語った8分間でした。
一番言いたかったことは、
「穏やかに、朗らかに、和やかに、」
を目標に
「大切なひと、大切なことと、大切なときを生ききる」ためのお手伝い
が、
”人それぞれの自分らしさ”を見つけ出し、重んじるための出発点であり、
在宅に限らず、施設でも、病院でも、医療・介護の原点であり、最終目標
です。
YouTubeにもアップされますので、その時はまたご覧いただければ幸いです。

http://medpresen.com/med2016/zaitaku/
ときは 5月22日(日)
ところは 日本科学未来館 未来館ホール
テーマは、「穏やかに、朗らかに、和やかに、~自分らしく生ききるために~」
TED スーパープレゼンテーション張りの会場で、8分間のプレゼンでしたが、久しぶりに、口が渇くほどの緊張感でした。
シマの自然、文化、歴史をおりこんで、ネリヤの行動目標を語った8分間でした。
一番言いたかったことは、
「穏やかに、朗らかに、和やかに、」
を目標に
「大切なひと、大切なことと、大切なときを生ききる」ためのお手伝い
が、
”人それぞれの自分らしさ”を見つけ出し、重んじるための出発点であり、
在宅に限らず、施設でも、病院でも、医療・介護の原点であり、最終目標
です。
YouTubeにもアップされますので、その時はまたご覧いただければ幸いです。

2016年04月25日
本に載りました。「離島の在宅医療」
【在宅医療のためのclinician@Home~特集 離島の在宅医療】
特集記事でファミリークリニックネリヤと住用診療所が掲載されました。
在宅療養の目標は、「穏やかに、朗らかに、和やかに、」お過ごしいただくことです。
ネリヤの行動理念である
「生命(いのち)を癒し、生活(くらし)を支え、人生の最期(たびだち)まで寄り添う、」
ことで、日々の暮らしに制約が多くとも、 人生の最終段階にあろうとも、
「大切なひと、大切なことと、大切なときを生きる」
ことができるためのお膳立てを、常に心がけていきたいです。
やっぱり、「生命力の消耗を抑えるために、生活を整える」視点を持った看護師の力は大きいです。
~エーザイが作っている本です。クリニックの待合室にはありますが、amazonやhontoでも見つかりませんのであしからず(^_^;)。
(散髪しときゃよかった・・・(^_^;))



特集記事でファミリークリニックネリヤと住用診療所が掲載されました。
在宅療養の目標は、「穏やかに、朗らかに、和やかに、」お過ごしいただくことです。
ネリヤの行動理念である
「生命(いのち)を癒し、生活(くらし)を支え、人生の最期(たびだち)まで寄り添う、」
ことで、日々の暮らしに制約が多くとも、 人生の最終段階にあろうとも、
「大切なひと、大切なことと、大切なときを生きる」
ことができるためのお膳立てを、常に心がけていきたいです。
やっぱり、「生命力の消耗を抑えるために、生活を整える」視点を持った看護師の力は大きいです。
~エーザイが作っている本です。クリニックの待合室にはありますが、amazonやhontoでも見つかりませんのであしからず(^_^;)。
(散髪しときゃよかった・・・(^_^;))



2016年04月22日
本日、7歳の誕生日(*^_^*)。ブログ再開します(*^^)v。
昨日は、朝礼前に緊急往診して、お看取り。
訪問診療が開始になって、体調が一時良くなった時に、駐車場から自宅に下りるところの階段を改修してくれた心優しい職人さんでした。とうとがなし<(_ _)>。
その後は、
インフルエンザB型多数、
登校困難な片頭痛の学生、
海を渡って受診されるパーキンソン病の方
チョット落ち着いたかに見えても、トイレに行くと、脈拍200近くまで上がる発作性上室性頻拍の方、
配偶者を看取った後から食欲不振が続く方、
化学療法を中止して、在宅療養となり、元気が出てきたので、これからウサギを飼って施設のアニマルセラピーをしたいと語るお年寄り、
化学療法途中で精神科に入院となり、退院後も受診を拒まれている方の相談、
多系統萎縮症の方が転倒して、筋膜が見えそうな傷の縫合
などなど、ちょっとヘビーでしたが、シマのお役に立てている気がする日でした。
ファミリークリニックネリヤ開設6年目最終日のでした。

訪問診療が開始になって、体調が一時良くなった時に、駐車場から自宅に下りるところの階段を改修してくれた心優しい職人さんでした。とうとがなし<(_ _)>。
その後は、
インフルエンザB型多数、
登校困難な片頭痛の学生、
海を渡って受診されるパーキンソン病の方
チョット落ち着いたかに見えても、トイレに行くと、脈拍200近くまで上がる発作性上室性頻拍の方、
配偶者を看取った後から食欲不振が続く方、
化学療法を中止して、在宅療養となり、元気が出てきたので、これからウサギを飼って施設のアニマルセラピーをしたいと語るお年寄り、
化学療法途中で精神科に入院となり、退院後も受診を拒まれている方の相談、
多系統萎縮症の方が転倒して、筋膜が見えそうな傷の縫合
などなど、ちょっとヘビーでしたが、シマのお役に立てている気がする日でした。
ファミリークリニックネリヤ開設6年目最終日のでした。

2013年07月25日
ちょっと塩味の草もち
先日、在宅で看とらせていただいた40代男性の奥様が、お姉さまと一緒にクリニックにおいでになりました。
体調が悪い時も、ずっと看護師を呼び出されていましたが、ある日の夕方、初めて私を呼びだされました。
「先生にお礼を言っとかんばいかんから。」
とおっしゃっいました。
その晩、奥さまや嫁いだばかりの娘さんたちに囲まれてて、旅立たれました。
妻、娘、兄弟で最期のときをみまもって、きちんとお見送りの時間を過ごした後にお電話をいただいて、看取りの往診をしました。
そこにいる方々皆さんの微笑みがとても素敵でした。
今日久しぶりに会った奥さまは、
「娘たちに励まされながら、元気に仕事にも復帰しています。最期まで、夫を支えながら、一緒に過ごせたことに、とても満足しています。」
とおっしゃっていまた。
旦那様がお好きだった草もちをお土産に頂きました。
いろんな思いが、詰まっていて、とてもおいしかったです<(_ _)>。
いろいろ思い出していたら、少し塩味になりました(T_T)。
体調が悪い時も、ずっと看護師を呼び出されていましたが、ある日の夕方、初めて私を呼びだされました。
「先生にお礼を言っとかんばいかんから。」
とおっしゃっいました。
その晩、奥さまや嫁いだばかりの娘さんたちに囲まれてて、旅立たれました。
妻、娘、兄弟で最期のときをみまもって、きちんとお見送りの時間を過ごした後にお電話をいただいて、看取りの往診をしました。
そこにいる方々皆さんの微笑みがとても素敵でした。
今日久しぶりに会った奥さまは、
「娘たちに励まされながら、元気に仕事にも復帰しています。最期まで、夫を支えながら、一緒に過ごせたことに、とても満足しています。」
とおっしゃっていまた。
旦那様がお好きだった草もちをお土産に頂きました。
いろんな思いが、詰まっていて、とてもおいしかったです<(_ _)>。
いろいろ思い出していたら、少し塩味になりました(T_T)。
2012年05月09日
おひとりさまの最期
少し前、「孤独死」「孤立死」が連日ニュースになっていたことがありました。
その一方、独居の方の在宅での看取りも各地で行われています。
私たちのクリニックでも何人か、「おひとりさま」の方の最期にお付き合いしています。
2月中旬、鮮やかなピンクの緋寒桜が満開のころでした。
昔馴染みのヘルパーからの依頼で、初めて訪問したおひとりさまのオバは79歳。シマには身寄りのない方でした。夫に先立たれた後も、シマに骨を埋めるつもりで、人形作り教室や婦人会などで活発に過ごされてきた方でした。
最初の訪問は、依頼のあった翌日、病院から退院して1週間目でした。自ら作られたというひな人形などがたくさんある家でした。
肝がんの進行による右わき腹の痛みで身動きがとれず、腹水でおなかまわりは120cm以上ありました。また、肝機能が非常に悪化していたため、つじつまの合わない話やふるえがある状態でした。
本人の希望をうかがいながら治療を調整して、一日一日と、疼痛や便通が改善されていきました。
「満足して死にたいからね。今したいのはユムグチ。」
「体調が良くなったら、岩盤浴に行ったり、焼肉を食べたりしたい。」
といったことが当初からのご希望でした。
体調や意識が良くなってくると、友人も遊びに来るようになり、訪問でも楽しそうに昔話をされるようになりました。
ある日、「岩盤浴はお好み焼きのようなもの、やっぱりお風呂がいい。」と希望され、訪問看護でシャワー浴を行いました。
湯上りに長く禁止されていた缶ビールを飲み、久しぶりの化粧もして、ほころぶような笑顔で写真も撮られました。
このころ、体調が良くなったお礼にとお気に入りのひな人形をいただきました。
その後、下血がみられるようになりましたが、入院は希望されず、最後までここで過ごしたいという希望を伺いました。
ヘルパーさんたちにも、大量の吐血や下血がいつ起きてもおかしくないことや、これらが最期に直結することなどをお話ししました。
少し下血がおさまり体調もよかったとき、ヘルパーに
「焼肉が食べたい。無理なら匂いだけでもいい。」
と言い出し、ヘルパーの付き添いで知り合いの焼肉屋に行かれました。ほんの少ししか食べられなかったものの、大変喜ばれたとのことでした。
その翌日、ひな祭りの朝でした。
一番頼りにしていたヘルパーに、「起こして」と頼んだ後、徐々に呼吸が弱くなってきました。
ヘルパーは、あわてて私たちクリニックに連絡しました。
間もなく、気になって予定より早く出ていた看護師が到着しました。
そして、ヘルパーの腕の中で、「○○ちゃん」とヘルパーの名前を呼び、看護師に手を取られながら、穏やかに最期を迎えられました。
ベッドのそばでは手作りのひな人形が見守っていました。
「生きている間に、そのひとの住み家でこそできること」を支えることは私たちの重要な任務です。
在宅でいろいろな方々と向き合っていると、本来、ひとは最期の時と状況は選べるに違いないという気がします。
私達が最期までお付き合いした「おひとりさま」は一人残らず信頼できる人に囲まれて、感謝と満足に包まれた最期の時を迎えられています。
それは、その人自身が最期の瞬間を選んでいるからに違いないと感じてなりません。
毎年緋寒桜のころ、私たちのクリニックには、オバから頂戴したひな人形が、オバの思いとともに飾られることでしょう。
その一方、独居の方の在宅での看取りも各地で行われています。
私たちのクリニックでも何人か、「おひとりさま」の方の最期にお付き合いしています。
2月中旬、鮮やかなピンクの緋寒桜が満開のころでした。
昔馴染みのヘルパーからの依頼で、初めて訪問したおひとりさまのオバは79歳。シマには身寄りのない方でした。夫に先立たれた後も、シマに骨を埋めるつもりで、人形作り教室や婦人会などで活発に過ごされてきた方でした。
最初の訪問は、依頼のあった翌日、病院から退院して1週間目でした。自ら作られたというひな人形などがたくさんある家でした。
肝がんの進行による右わき腹の痛みで身動きがとれず、腹水でおなかまわりは120cm以上ありました。また、肝機能が非常に悪化していたため、つじつまの合わない話やふるえがある状態でした。
本人の希望をうかがいながら治療を調整して、一日一日と、疼痛や便通が改善されていきました。
「満足して死にたいからね。今したいのはユムグチ。」
「体調が良くなったら、岩盤浴に行ったり、焼肉を食べたりしたい。」
といったことが当初からのご希望でした。
体調や意識が良くなってくると、友人も遊びに来るようになり、訪問でも楽しそうに昔話をされるようになりました。
ある日、「岩盤浴はお好み焼きのようなもの、やっぱりお風呂がいい。」と希望され、訪問看護でシャワー浴を行いました。
湯上りに長く禁止されていた缶ビールを飲み、久しぶりの化粧もして、ほころぶような笑顔で写真も撮られました。
このころ、体調が良くなったお礼にとお気に入りのひな人形をいただきました。
その後、下血がみられるようになりましたが、入院は希望されず、最後までここで過ごしたいという希望を伺いました。
ヘルパーさんたちにも、大量の吐血や下血がいつ起きてもおかしくないことや、これらが最期に直結することなどをお話ししました。
少し下血がおさまり体調もよかったとき、ヘルパーに
「焼肉が食べたい。無理なら匂いだけでもいい。」
と言い出し、ヘルパーの付き添いで知り合いの焼肉屋に行かれました。ほんの少ししか食べられなかったものの、大変喜ばれたとのことでした。
その翌日、ひな祭りの朝でした。
一番頼りにしていたヘルパーに、「起こして」と頼んだ後、徐々に呼吸が弱くなってきました。
ヘルパーは、あわてて私たちクリニックに連絡しました。
間もなく、気になって予定より早く出ていた看護師が到着しました。
そして、ヘルパーの腕の中で、「○○ちゃん」とヘルパーの名前を呼び、看護師に手を取られながら、穏やかに最期を迎えられました。
ベッドのそばでは手作りのひな人形が見守っていました。
「生きている間に、そのひとの住み家でこそできること」を支えることは私たちの重要な任務です。
在宅でいろいろな方々と向き合っていると、本来、ひとは最期の時と状況は選べるに違いないという気がします。
私達が最期までお付き合いした「おひとりさま」は一人残らず信頼できる人に囲まれて、感謝と満足に包まれた最期の時を迎えられています。
それは、その人自身が最期の瞬間を選んでいるからに違いないと感じてなりません。
毎年緋寒桜のころ、私たちのクリニックには、オバから頂戴したひな人形が、オバの思いとともに飾られることでしょう。
2012年02月01日
「愛の奇跡」 in 在宅ホスピス
昨日、NHKクローズアップ現代で「あなたの自宅をホスピスに~地域で支える最期~」という番組がありました。
私たちも、自宅をホスピスとして最期までお過ごしいただけるための医療を行っています。
そして、「在宅ホスピス」ならではのいろいろなドラマがあります。
ある高齢夫婦の二人暮らしで、妻がいよいよあと数時間が精いっぱいかな?という状況の時のことです。
ご自宅に伺うと、おば(妻)は、すでに意識がもうろうとしていました。
状況の説明の後、夫と娘にお話をしました。
「いまから大事なことは、おばの手を握って、これまでのおばの人生の楽しかった思い出話をすることですよ。」
「明日まで来れない息子さんが間に合うようにする一番の治療は、点滴よりも、ご家族の声掛けですよ。」
次の訪問診療もあったので、出る前にご挨拶をしたところ、呼吸が弱くなってきました。
あえぐように口がかすかに開いたり閉じたりします。
脈拍も触れにくくなり、酸素飽和度80%代あったのが、55%まで低下しました。
呼びかけにも反応がありません。
まさに、「虫の息」の状態で、普通は30分以内に最期を迎えそうな状況です。
急いで、おじ(夫)を呼び寄せて手を握っていただきました。
「かあちゃん。きばりよ」おじが呼びかけます・・・。
私は居室から出て、次の訪問診療先に遅れる連絡をしていました。
その時です。一緒に行った看護師の声が聞こえました。
「先生!!。酸素飽和度が90%に上がりました!。呼吸もしっかりしてきてます!。」
その後、おばはしばらく小康状態を取り戻しました。
意識がないように見えても、すべての感覚が失われているわけではありません。
夫の手のぬくもりや、呼びかける声はしっかりと叔母に届いていました。
医療はもちろん、娘の存在も及ばない、夫婦愛がおばの生きるを力を呼び起こした「愛の奇跡」を見せつけられました。
1年ぶりの投稿でした(^^ゞ。
私たちも、自宅をホスピスとして最期までお過ごしいただけるための医療を行っています。
そして、「在宅ホスピス」ならではのいろいろなドラマがあります。
ある高齢夫婦の二人暮らしで、妻がいよいよあと数時間が精いっぱいかな?という状況の時のことです。
ご自宅に伺うと、おば(妻)は、すでに意識がもうろうとしていました。
状況の説明の後、夫と娘にお話をしました。
「いまから大事なことは、おばの手を握って、これまでのおばの人生の楽しかった思い出話をすることですよ。」
「明日まで来れない息子さんが間に合うようにする一番の治療は、点滴よりも、ご家族の声掛けですよ。」
次の訪問診療もあったので、出る前にご挨拶をしたところ、呼吸が弱くなってきました。
あえぐように口がかすかに開いたり閉じたりします。
脈拍も触れにくくなり、酸素飽和度80%代あったのが、55%まで低下しました。
呼びかけにも反応がありません。
まさに、「虫の息」の状態で、普通は30分以内に最期を迎えそうな状況です。
急いで、おじ(夫)を呼び寄せて手を握っていただきました。
「かあちゃん。きばりよ」おじが呼びかけます・・・。
私は居室から出て、次の訪問診療先に遅れる連絡をしていました。
その時です。一緒に行った看護師の声が聞こえました。
「先生!!。酸素飽和度が90%に上がりました!。呼吸もしっかりしてきてます!。」
その後、おばはしばらく小康状態を取り戻しました。
意識がないように見えても、すべての感覚が失われているわけではありません。
夫の手のぬくもりや、呼びかける声はしっかりと叔母に届いていました。
医療はもちろん、娘の存在も及ばない、夫婦愛がおばの生きるを力を呼び起こした「愛の奇跡」を見せつけられました。
1年ぶりの投稿でした(^^ゞ。